Schaal Sels UCI BEL 1.1

さて、昨日のレース。Schaal Sels UCI BEL 1.1。アントワープ近郊がスタートゴールで、そこから少しオランダ等に入り、戻ってくる感じ。石畳が事前の情報では多いとのこと。
スタート前のサイン後です、これ。必ず、僕は全日本クロスチャンプって紹介されます。チャンピオンの特権です。嬉しいことです、ほんと。コースは石畳はたしかにおおかったけど、路肩がコンクリートの道になっていて石畳の意味ないし!的な感じだった。もちろん全員が路肩のコンクリートの普通の道を走っていた。wさて、レースはうちのチームメイトのビクターを含む4人が逃げ、40km前後で一旦落ち着く。けど、狭い道や石畳の連続で、集団が長く伸びて、中切れがおき、メイングループが4つほどに分断。僕は後方に取り残され、必死に踏んで、集団に再復帰。そのあとは、反省して、しっかりと前の方で位置取りをしていき、オランダに入る。オランダに入った途端に、小さな農道の繰り返しになり、さらに風も強くて、メイン集団が50人以下に絞られていく。ぼくはまだここに残っていた。ビクターを含む逃げ集団は一度捕まっており、新しい10人ほどの逃げができていた。僕はとりあえず、風でちぎれないように、必死に走っていた。さて、140kmほどの地点、右の鋭角コーナーを集団のアウト側で曲がっていたら前方の二人が滑って落車。ぼくはやばいと思ったけど、冷静に対処し、こけずに前の選手を若干ひきつつ、止まれたので再スタートやと思ったら、後ろから突っ込まれて落車。うわ、と思ったけど、必死に他のバイクと絡まった自分のバイクを起こし、クロスの要領で飛び乗り、再スタート。が、チェーンが外れていて上がらず。すぐにおりて、チェーンかけたけど、集団ははるか前方。それにカーペーサーで集団復帰したかったけど、横風でちぎれた選手と混在してて、更にはメイン集団のすぐ後ろにはチームカーがついてない状態だったので、どうしようもできず。僕の落車は無線でチームカーには情報がいってたようだったけど、チームカーははるか後方。自分で踏んで追い付こうと試みたけど、集団もキュベカが中心となって、逃げの10人を追っている最中。単独ではおいつけず。10人弱の遅れグループといっしょになり、脚のある選手、落車でこけた選手、が中心で集団復帰を目指すも無理だった。200kmのレースで170kmほどでおろされた。不運といえば不運やけど、落車の瞬間にそこにいた自分が悪い。この日は25歳の誕生日やったし、良いレースにしたいなぁと思っていたけど、中切れで一度遅れるし、突っ込まれて立ちゴケみたいな落車の仕方をし、そのあと復帰もできず、レースができてなかった。ゴール地点ラスト数キロの雰囲気を見て、このコースでスプリントをするならどうする、って頭に思い描いていた。悔しい。いいところにいけたと思う。UCI1クラスで着に絡んだ走りをできるチャンスをまた逃した。けど、この日は身体がとても重く、、しんどかった。疲れがでてきたのかな。ベルギーに戻ってからは、レースのための休養は入れてたけど、回復させるための休養はとらずに乗り込みとレースを繰り返してきたので、これもいいきっかけかなとも思う。もし、あのまま集団に残れて走れてたら膝が再発したかもしれない。そういうことにしておく。2日ほどゆっくりして、また頑張ります。と、言っている間に来週には日本ですね。今回のレースはオランダに入った瞬間に「あ、ここデッカーの近くや!」って気づいた。デッカーってのはホテルで毎冬、Hoogerheideのワールドカップのために泊まるホテル。ま、そのすぐ近くでぼくはこけたんですが。笑w終わったことはしょうがないので、残されたものを見て、また頑張ります。この後の僕のスケジュールは、9月5日 Izegem9月8日 Kernen Omloop Echt - Susteren UCI Ned 1.29月9日 Zwevegem9月10日 ベルギー出国9月11日 日本帰国9月14-16日 ツールド北海道9月17日 ベルギー帰国ってな感じです。プロケルメス、Izegemは去年の冬に住まわせてもらっていた街、Zwevegemは、かれこれベルギーに来てからずっといるお世話になっている街でレースです。それに日曜日はオランダでのレース。オランダのロードレースは初めてです。それもUCIの2クラス。しっかり狙いたい。勝負をしたい。まず、勝負できる身体に回復させれるのか、、心配です。なんか、すっごくクタクタです。では。悠

YuTakenouchi

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