7月末にマウンテンバイク全日本選手権を終え、8月はレースがないのでクロスシーズン前にいい休みにはなるけれど、レースがしたいと思い、マレーシアに行ってきた。
4月末にあった八幡浜マウンテンバイクレースUCI1がアジアマウンテンバイクシリーズの初戦であり、その時のUCIコミッセールさんが熱くアジアマウンテンバイクシリーズのことを言っているのがなんとなく心に留まり、その時にスタッフに一緒にマレーシア行くか〜なんて軽く言ってたけど、スケジュールを見れば空いてるし、UCIレースだし、なんかおもろいかも?っていう興味が湧き、UCIポイントをとっておきたかったので、出場を決めた。出場するまでは現地のコミッセールとやりとりを行い、飛行機チケットをとり、宿をとり、段取りをして、いざ出発。ジュニアの村上コータロー選手も一緒のレースに参加することがわかり、日本人が一緒にいてくれるのは少なからず安堵感があったけど、若い子だし、少しでもこの遠征がいいものになるようにチーム東洋フレームとして、できることはしてあげたいなとも思った。現地に入るまではとてもスムーズで、現地の空港に着いたら、そこにはお迎えが来てくれていたし、ホテルまで移動。その移動する車がピックアップトラックで、僕らの機材が入りきらず、ホテルまでの約2時間の道のり、スーツケースは抱えて乗ってくれと言われ、そんなもん冗談じゃないと思い、眼の色変えてみんなで必死に荷台に荷物を乗せ切った。少し良い思い出。僕の滞在予定のホテルは川を車で渡ってエントランスだった。これ、増水したら、どうなるの?と思いつつ、ホテル着。予約したホテルはコースのすぐ脇だから便利、とオーガナイザーにオススメされたホテル。コーステープらしきものがホテルの周りにチラホラ。。?まさかなーと思いつつ、ホテルにチェックイン。
↑僕らのコテージのような部屋から、フロントまで、、上から見るとこんなん僕とメカニックのたくちゃんの二人。「ダブルベットだけど大丈夫?キングサイズよ」「いやいや、サイズとかの問題でもないし、大丈夫じゃないです、ツインにして」っていうやりとりを終え、「そしたら、、、この部屋ね、、」と鍵をもらい、「君たちの部屋はあそこ」って言われた先は超長い階段の上にあるコテージのようなとこ。ノーチョイスなので、二人で真っ暗な夜に必死にバイクや機材を運び上げた。「見晴らしいいわよ、朝になったらわかるわ!」って言われたけどこれまたそういう問題じゃないって思いつつ、部屋に入ると、虫がチラホラ、ヤモリが壁に数匹。クーラーあるけど、クーラーつかない。シャワーあるけど、湯が出ない。と打ちひしがれてたら、クーラーもシャワーもブレーカースイッチがあり、湯は出る、クーラーはちゃんと動く、、これにはテンションが上がったし、安堵した。なんせ、5日ほど滞在しないといけないのだから。。この日はまぁ大きなトラブルはなにもなく、就寝。日本との時差は1時間。誤差の範囲。さて、朝、7時ぐらいから外が妙にうるさい。キーキー鳴く甲高い音、がちゃがちゃ暴れる音、、、気にせず寝てたけど、キーキーうるさいなぁと思いつつ8時〜9時ごろに起床。移動疲れがあったし、ゆっくり寝たかったのに、、、ドア開けて外見ると、、部屋のすぐ脇がコース。てか、ホテル全体がコース。他国の選手が朝っぱらから必死に試走をしている。多分、陽が高くなり、気温が上がる前にトレーニングする習慣なんだろう。けど、それにしても、あのキーキー音はやっぱりディスクブレーキの鳴く音か、、ガチャガチャ音はチェーンの暴れる音やんな、、と、たくちゃんと苦笑い。ディスクブレーキ鳴きの音で起こさせられたのは初めてやなって。ホテルのロビーまで山を降り、朝食を食べ、また階段で山上コテージに戻り、バイク組み立て、トレーニングの準備。さて、道路を少し走ってから、コースイン、と思ったら、コータローがコースを走ってた。彼とはホテルが違うので、生活面では一緒にならなかった。まぁ、いいかと思い、コータローの後ろを走らせてもらい、コースの試走を開始。右に左に、上に下に、と騒がしいコース。登りは短く急勾配、下りはスイッチバック、2ヶ所のドロップオフ。平地部はコース内に多く、丸太越えが計5ヶ所ほど。吊り橋が2本と、ロックセクションが1ヶ所。僕はスイッチバックのバイクの取り回しがうまくできなくて悪戦苦闘した。どうにか取り回しをうまくさせれないかと、ステムを3種類試すも、そうこうしているうちにリアタイヤをパンクさせ、意気消沈。決戦タイヤに履き替え、一周して、この日の試走を終えた。コータローはスイスイと楽しそうにバイクに乗っていた。
この日のランチは買い出しついでに街に行こうということで街へ。でも、徒歩では遠く、行く手段がない。ホテルの人と主催者に掛け合って、タクシーを呼ぶも、一般のボランティアの人が来た。とりあえず、街に行き、ナシゴレンを食べ、生命線である安全な水の確保をし、レースまでに必要なものを揃え、街をあとにした。ボランティアの運転手に一応お金払おうかと聞いたら、一人30リンギットと言い出した。現地の相場にしたら明らか高いし、一人30リンギットっていう訳わからん料金に悪意を感じた。たくちゃんと二人で60リンギット払い、その場を後にしたけど、どうも嫌な気がして、ホテルに戻ってからレース主催者がいたので、タクシー料金の話をしたら、それは通常に六倍取られてるぞ!って言われ、謝られた。翌日にはチームマネージャーミーティングが街のホテルであり、そこに行くまでの手段がないのでその主催者に送迎を頼む。お金はまぁ生きるために必要やったし、日本円で1500円ほど。まぁ騒ぐ気もなく、相手の拘束した時間を考えればそんなぼったくりも有難いなとも思った。
さて、翌日。ホテルの可愛いスタッフさん、チェルシアとも顔馴染みになり、お互いに相手の国の言葉でお礼を言い合う。ホテルの滞在も快適になった。この日はレース前日、朝からレース受付に行き、受付だけで約1時間以上かかり、そのあと、コースインして試走。今日は決戦用のホイールセットで、空気圧を定める必要があった。天候は晴れ、翌日のレース当日も晴れの予報。全日本の時の反省もあり、空気圧をできるだけ下げたかった。と、いうのも、コースが作りたてということもあり、路面が荒れている箇所があるのでそこを快適にしたかった、1.1barまで下げたところで、これ以上走ると調子に乗って機材を壊しそうなのでいいところで試走を終えた。この日の夜はチームマネージャーミーティングとウェルカムパーティー。前日に主催者に頼んだはずの送迎が来ない。ま、そんなのある程度は予想通り。コースにいた大会関係者を捕まえ、街のホテルまで送ってと頼むと快くOKしてくれた。有難い。チームマネージャーミーティング前に無事に街のホテルに着き、マネージャーミーティングを終え、そのあとはウェルカムパーティ。ウェルカムパーティでタンブナンの街のマスコットがいたのでテンション上がって記念撮影。可愛いというより、中にいる人が普通に会話し、日本みたいにキャラ設定がないのが親近感わいた。ウェルカムパーティ中に知らないマレーシア人二人が僕らの日本チームのテーブルに来て、ずっとしゃべっている。2人とも大学の先生で、1人は日本に職場学習のようなもので来てたみたいで、和歌山で養殖の勉強をしてたみたい。世界は狭いなーと思った。ウェルカムパーティ後、街からホテルまで帰る手段がないなぁと思ってたら怪しいマレーシア人がホテルまで送ってくれるって言ってくれたので、とりあえず手段ないし、信用して乗してもらった。誘拐されず、ホテルまで本当に連れていってくれ、お金も払おうかと聞いたらいらないって言ってくれた。申し訳ないけれど、信用置ける人だなと思った。疑ってごめんなさい。アマさん、ありがとう。さて、レース当日。メカのたくちゃんには朝のコータローのレースにフィードに入ってもらうことになっていた。勝てるかもしれないレース、そりゃ全力でいい結果になるようにしなきゃ。僕はレース前でのんびりしなきゃいけないんだけど、なんせ部屋の前がコースで、コータローが頑張って走ってたら応援せざるおえない。笑。序盤はトップのオーストラリア人から10秒差ほどで我慢して走ってた。スタートしてすぐに差が開いてたのでスタートでミスしたのかな?平地が多いので真後ろにつけれたら少しは楽だったと思う。けど、ジリジリと離される。5周のレースで1-2周目が10秒ほど。2-3周目で30秒。
ラスト4-5周目あたりで1分以上。後半だいぶペースが落ちていた。序盤がオーバーペースでもオーストラリア人についていこうとしていたのかな。いいレースしていた。オーバーペースでも最後までバイクを壊すことなくゴールしていた。さすが。彼は2位でゴール。おめでとう!さて、僕のレース。本来のスタート時間からかなり時間がおしていた。たくちゃんと話し合い、コータローのレース終了時刻や、1レースでだいたい何分予定より多く時間がかかるかをおおよそ計算して、レーススタート時間はおよそ2時間おしだとわかった。自分たちでそう決めた。なので、それに合わせて路上でアップし、レース時間を待った。このルーズな感じを責めてもレースはレースなんだし、結果を出すことだけを考えて、その場に合わせてやるしかない。ヨーロッパでもなんでも同じ。文句は言っても仕方ない。最善な方法を探るだけ。
さて、ようやくスタートする雰囲気になり、笑、僕のレーススタート。スタート位置もコース半分が舗装路と芝に分かれていて、僕は一列目だけど、芝の上。なんか損な気がしなくもない。。と思いつつ、スタートは負けない自信もあったのでスタート。事前にエントリーリストを確認し、強い選手が2人ほどいるのはわかっていた。カザフスタンの選手1人とタイの選手1人。カザフスタンの選手は2016年のアジア選手権2位、まぁどこまでレースを共に走れるか、と今の自分の実力ではそんな考えだった。彼がスタートでホールショットをとり、僕は二番目。僕の後ろの選手もガツガツとこないので、二番目でレースを進める。平地の区間が多いのでカザフスタンの選手より楽にレースを運ぶ。降車区間がコース上に二か所ほどあり、1か所は登り、1か所はコーナーで。その降車区間の後の再スタートがカザフスタンの選手が下手くそだったので、予定を変えて、降車区間のあとトップに出る。すると、カザフスタンの選手が半ば強引に抜き返してきた。そういうレースをしたいのね、とわかり、彼の後ろでコバンザメ。僕の後ろにはタイの選手が付いてくる。予想通りの3人三つ巴。全6周のレース、1周目〜2周目でタイの選手が遅れるポイントを確認。あと、カザフスタンの選手が苦手なところも確認。
2周目にはカザフスタンの選手と2人のパックに。3周目、カザフスタンの選手のペースは速かったけど、気持ちに余裕も出てきて、このまま後ろについたまま最後の勝負をするのは今ではないなと思い、チャレンジしなきゃと思った。
絶対に前に出させてくれないけど、無理やり前に出る。 前で走るのキツかった。笑。僕はフラフラでラインも甘くなり、ミスを連発。僕の後ろでカザフスタンの選手もミスを連発。あわよくば、。と思い、1周を先頭で走り、4周目。
平地区間で彼に先頭を譲ろうと合図したけど応じない。彼も勝ちに来たな、と思った。ある意味、認められた証拠。嬉しさ半分、どうしようという気持ち。笑とりあえずそのまま平地区間は先頭を引っ張る。カザフスタンの選手に急勾配の降車してた登り区間手前で抜かれ、その区間を乗車してクリアして、明らかにペースアップをしてきた。いやいや、僕ちん、もうだめ、、、と思いつつ、食らいつく。
その差が4周目完了時で10秒差。あと二周。登り区間以外の平地のパートは僕が速い。けど、一周で10秒開く。追いつきたいけど、恐らく厳しい。一周で10秒開く程度で抑えなきゃと思い、イーブンのペースで堪える。残り2周。
その後も1周で約10秒ずつ差が開き、ゴールは40秒差の2位。タイム差、計算通り。今回のレースは、いいチャレンジができた。上下の動きが多い、得意なコースではあったけど、スイッチバックが最後まで苦戦した。降車区間ではクロスをやっていてよかったと思えるアドバンテージがあったけど、序盤、カザフの選手が降車していた急勾配の登り区間は途中からカザフスタンの選手は乗車してクリアしてたけど、僕は最後まで乗車できなかった。へたっぴなのか、まだ29erのバイクの取り回しに慣れていないのか。改善しなきゃ。
レース自体は、平地区間で休むために、先頭にこだわって完全試合をしようとしているカザフスタンの選手の後ろでコバンザメのいうに最後までレースを進めたら、もしかしたら勝てたかもしれない。けど、それはアジア選手権とか全日本選手権とか、なにかこう、絶対に勝ちが欲しい時にするのな未だしも、この大会でその走りをする自分に対してカッコいいと思えなかったので、前に出て正々堂々と勝負に挑んだ。結果としては裏目に出たけど、彼が僕の後ろで休んだりミスしたのも事実だし、僕もある意味、本当に勝ちを狙ったからこそ、フェアにレースに挑んだ。なので、まぁ納得のいく、自分に素直なレースができ、嬉しかった。こんなワクワクしたレースも久々だった。マレーシアまできた甲斐があった。レース中にトラブルはなく、フィードもうまくいき、たくちゃんとの連携はとれた。途中、1.15barがあまりに低く感じ、自分で低圧にしたのにパンクしたのかと焦ったけど、最後までタイヤはパンクせずに耐えてくれた。いいチョイス出来たと思う。勉強になった。全日本でのバイクセッティング甘さなど、色々と改善できたけど、もう少しまだ修正したい。
カザフスタンの選手に遅れをとってからも、タイム差が極端に開くことなく、できる限りのペースを維持して、相手のミスがあれば抜き返せる範囲で走れたのもよかった。ま、負けたんだけどね。レース後、ホテルの食事でハンバーガー頼んだ。すると、メロンパン味のバンズと、サラミのようなお肉、アジアンチリソースとマヨネーズのコラボ。なんともはや、だった。
レース後、帰国したかったけど、レース翌日の夜の閉会セレモニーに暫定アジアマウンテンバイクシリーズチャンピオンになるかもしれないから、帰国を遅らせてくれ、と主催者に頼まれていた。彼らにしたら、街の一大イベント。なので、レース後も2日ほどマレーシアに滞在。
ウェルカムパーティで知り合ったアマさんとアマさんのお綺麗な彼女に明らかにお二人のデートの邪魔をしながらも、街の観光に連れてってもらったり、自然に触れさせてもらい、充実した時間を過ごさせてもらった。慣れない土地、慣れない文化だけど、それを拒絶すればそれまでの話で、文化に触れ、見させてもらい、理解を深めれ、とても嬉しかった。
閉会セレモニーでは、暫定アジアマウンテンバイクシリーズチャンピオンのウェア頂き、みんなで記念撮影。
レース前のあの日本人誰やねんって見られてたのが、レース後はあなた意外と速いのね、と認められ、みんなと記念撮影。そしてその翌日、ずっとぼくらの衣食住を支えてくれてたホテルのチェルシアとお別れ。良くしてくれたので、本当に助かった。ありがとう。
空港まで色々とあったけど送ってもらえ、無事に帰国。たくちゃんと2人で始めはどんな遠征になるかなと思ってたけど、特に大きな問題はなく、スムーズに遠征をこなせれてた。これからもまたこういう遠征をしていきたい。若干、旅行記みたいになったけど、全てはレースのため。お世話になった方々、チーム東洋フレーム、ありがとうございました。一部写真はDecojaの社長さんに撮っていただきました、ありがとうございました。今回のレースで今年のマウンテンバイクレースは終わり。次はもうシクロクロスです。9月初めから チャイナのレースに今年は参加します。
では。
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