田沢湖MTBフェスティバル CJ1

このレースに出場するかどうか、迷ったのが本音。だって遠い。

機材を運ぶために必ず陸路で移動したい。空路は楽だけど、機材面で削減しないといけないし、レースに対して不安が残る。更にレンタカーやなんだと慣れないことが多いとそれもストレスになる。と、なると、自分の車で行くのが一番。けど、遠い。ただそれだけ。

片道900km。

金曜日から出発。松井響がまたサポートで帯同してくれ、行きのほとんどを運転してくれ、僕はゆっくりとできた。途中、去年したのと同じように下道区間でバイクを下ろし、身体をほぐすためにバイクに乗った。それも雨の中。かなり降られたけど、それはそれで気持ちよく、脚の回りもよく、いい時間にできた。

翌日、試走。今大会からマムアンドポップス様から新たに2019年モデルのフロントサスペンションを提供していただき、使用させて頂いていた。コース内の長い下りやシングルトラック内の路面の追従性がとてもよかったし、セッティングもFOXのオフィシャルのセッティングで全く違和感を感じなかった。細かい動きを説明するのは難しいけど、路面にタイヤが接地している時間が前モデルのサスペンションに比べ長くなったと感じた。簡単に言えばスムーズということだけど、そんな言葉ではないような。レース的に言えば速くなった。前モデルより速い。試走時はサスペンションの本格的なシェイクダウンも兼ねていたので不安だったけど、そんな不安は走り出せばなくなったし、セッティングも特に変える必要はないと感じた。

そして、レース。下記の転載部分にもあるけれど、惜しいレースをしたと思う。けど、このレースをトラブルを抱えながらも対処できたし、それでも勝負できたのは大きい。そして、そもそも、シーズン前半から取り組んでいた登坂対策が功を奏してきた。登りが以前よりパワフルに、ケイデンスもしっかり上げて走ることができていた。これにはぼくはすごく嬉しかった。苦手克服、引き続きがんばろうと思う。

次のレースは全日本選手権。過去二年、似たような走りで苦い思いをしているだけに、今年は結果を残したい。

このレース後、帰宅したのは翌日の朝5時。帰りは運転も頑張りました!

さて、下記より東洋フレームブログを転載します。



6月は全日本ロードに向けて、ロードでのトレーニングを増やしてきていた。マウンテンバイクを乗ったのは全日本ロード後。今大会は全日本ロードの翌週だったし、スケジュールが少し過密となっていたけれど、全日本ロード後の一週間マウンテンバイクに乗ればどうにかなると思っていた。しかし、全日本ロードで脱水や筋痙攣による身体的ダメージがでかく、田沢湖大会まで1週間はマウンテンバイクでのトレーニングがまともにできなかった。

しかし、週後半でマウンテンバイクに軽く乗り、脚の回り具合を見ても不安な点はあまり見当たらなかった。あとの技術的な面は試走をしっかり行うことで感覚を取り戻せば問題なかった。

レース試走時は雨が降り、マッドコンディション。マッドタイヤに交換し、試走を重ねた。29インチは、やはりパワーがいるのか、マッドタイヤのような細いタイヤは転がりが軽く、とてもしっくりときた。コース内で難しいパートはなく、ジープロードの長い下りでのラインの取り方、コース後半のシングルトラック内のラインの取り方をしっかりと頭に叩き込んだ。身体の調子は少し疲れがあるものの悪くはないと感じていた。

レース当日。晴れ。レース前日の試走中、試走後半で雨がやみ、ラインが少しずつドライになってきていると感じていたので、レース当日の晴れ具合を見て、ドライになると判断。他カテゴリーの選手の泥の付き具合を確認しても、ドライタイヤが正しく思えたのでドライタイヤに交換。雨雲レーダー等で天気を見ても雨が降る可能性もあったので、タイヤの空気圧は少し下げた。

6周回でレースが行われる。レーススタート。スタート時にタイヤを空転させてしまい、少し出遅れる。と、同時に後ろの選手が僕のバイクに突っ込んできた。その影響で僕の後ろは集団落車が起こった。申し訳ない気持ちを引きずりつつスタート。しかし、変速が定まらない。すぐにリアディレーラーに衝突され、トラブルを抱えたと判断。と、言ってもギア操作を細かく行い、チェーン変速が落ちつく範囲であれば走ることができた。常にチェーンがリアスプロケットにうまくかみ合わず音を立てていた。とにかくレースを進めるため、遅れを取り戻そうとペースを上げて走る。しかし、登坂セクションで今度はチェーンがホイールとスプロケットの間に挟まり、チェーンが落ちた。ディレーラーがかなり曲がっているとこの時にわかった。素早くなおし、とりあえず再スタート。どういうシフト操作をすれば同じ状況になるかまではこの時はわからなかった。とりあえず1周目前半を終え、1周目後半のシングルトラックセクションを攻めて前を追った。

1周目終了時点で3位まで順位を上げていた。そして、そのまま2周目は前を走る2番手の選手を追った。シフト操作のコツを覚えてきて、変速も定まらないなりにこぎ方やタイミングをずらしてバイクを走らせていた。3周目に入るころには前の単独3位で前の2番手の選手との差を10秒以内にまで詰めていた。とりあえず、パックになり、レースを進めようと思った。そんな矢先にまたもやリアホイルとリアスプロケットの間にチェーンが落ちた。直して再スタートしてもすぐにまた同じく噛みこむ、これを三回ほどドタバタと繰り返して焦る頭で原因を理解した。どうやら、ギアを一番軽い位置にするとチェーンが落ちるとこの時初めてわかった。手元のDi2ディスプレイで”2”の位置で一番軽いローギアになり、”1”にまで変速するとチェーンが噛みこむ。相当ディレーラーが曲がっていた。チェーンを直している間に最低20秒はロスした。再スタートを切り、それ以降は、登りで常にディスプレイとにらめっこ。普段は無意識にするシフト操作を意識的に行った。またチェーンを落としてタイムロスは避けたかった。前を追うためにペースを上げ、また2番手と20秒差ぐらいまで詰めた。

4周目。トップを走っていた選手がメカトラで遅れ、僕は単独2位に。こうなれば勝ちたい。けれど、力むと体力が消耗するし、トラブルも抱えていたので、出来るだけイーブンペースでレースを進める。得意なコース後半のパートで必死にタイム差を縮めようとした。

5周目、相変わらずのタイム差。約20秒。

6周目、最終周。前半の登坂パートでもペースを上げる。しかし、コース後半でのペースアップがいまいちできず、脚も痙攣が始まったのでもう限界だった。単独2位でゴール。1位との差は最後まで約20秒だった。

スタートからトラブルを抱え、二回止まり、チェーンを直し、更に常に変速がガチャガチャする中、最後まで走り切れたのはとても良かった。トップを独走していた選手がトラブルに見舞われたおかげでトップ争いもできた。もし、僕自身にトラブルがなければ勝てたかもしれない。けれど、トラブルを抱えていたからこそ集中して最後まで走れた。トラブルへの対処もうまくでき、最善の結果にできたなと思う。ただ勝ちが見え、負けたのは悔しいけれど、この気持ちを忘れずに次回のレースでしっかりと走りたい。でも、とりあえず、表彰台に上がれて嬉しかった。

全日本ロードの疲労の影響でもっと走れないかと思ったけれど、結果的には全日本ロードのおかげで調子よくレースができた。ロードを乗り込んでいたからこそ、マウンテンバイクに乗り換えた時に色々と改善できる点があった。登坂力も以前よりかなり小マシになってきた。

次のレースは全日本マウンテンバイク選手権。いい走りをしたい。

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